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Never Mind the Baubles――Sex Pistols with Sid Vicious
Looking back to Christmas 1977 with an irreverent portrait of the times, featuring unseen footage of the Sex Pistols. Never mind the baubles, director Julien Temple presents a unique insight into the tradition and transgression of Christmas. Featuring interviews and 70s archive, framing the Sex Pistols' last UK concert with Sid Vicious, for the children of striking firemen in Huddersfield on Christmas Day 1977.
すごく面白かったよ。 Sid Viciousを含む4人で、ミニバスでスコットランドに向かう途中だったらしいけど、スコットランドには入れてもらえず、1977年のクリスマスの日は、消防士のストライキで、どこのVenue(場所)も使えないしホテルもないしという状況。
そこにYorkshareの消防士のクリスマスパーティーにギグをして貰えないだろうかと、招待された。昼間は子供たち向け、夜は大人たち向けに2回に分けて、チャリテーギグをやったというわけ。
子供たちとみんなが喋って、ケーキを分けてあげて、バンドも子供たちも、大人たちもみんなが、最高に楽しんだいいギグだったみたいだよ。
Stephen Jonesの本音や、John Lydonのナマの姿など、当時の様子が観られて、これぞ本当のチャリティーかも知れないなと、クリスマスに何だか温かくなるフィルムでした。
ぜひとも、検索して、観られる方法を探してみて。どうにか観られると思うよ。良い、年末年始をね!
今週の気になる本――小林秀雄も人の子。
「直観を磨くもの 小林秀雄対話集」[小林秀雄著, 文春文庫]
奥付には2014年1月1日付けとあるが、発売は2013年12月24日。買ったのは翌日。
こうして小林秀雄関連の対談集がまた出始めている。過去に出ていたものばかりだから、新しい読者、若い読者が増えつつあるということなのだろう。
文春文庫から出ている紹介文は以下の通り。
「本質を射ぬく目、いわゆる「直観」を養う方法とは何か。類い稀なる慧眼の士、小林秀雄が各界の第一人者十二名と語り合う中に、そのヒントは立ち上る。思考停止を招く「○○主義」、芸術作品を曇らせる浅薄な「知識」、空論化する「弁証法」……。文学・絵画・演劇といった「芸術」、哲学・思想・科学といった「論理」、そして人間力といっていい「教養」。小林秀雄の直観を探る格好の対話集」
ここに対談をした12名とは以下の諸兄。無論、文字通りすべからく男性である。
三木清、横光利一、湯川秀樹、三好達治、折口信夫、福田恆存、梅原龍三郎、大岡昇平、永井龍男、五味康祐、今日出海、河上徹太郎。
解説は石原千秋。
「小林秀雄先生は、講演であれ対談であれ、自分の話を録音することは固く禁じられていた。文筆家としての自覚を常に強くもたれていた先生は、講演や対談の速記原稿にも徹底的に手を入れられたが、録音自体を拒まれたのは、自分の知らないところでそれが勝手に使われ、論文など書かれてはたまらないからである」
新潮社で担当編集者として小林秀雄に接した池田雅延の録音拒否の証言(『HONライン倶楽部』、讀賣新聞)は以前に引いた。
また、今年の春に出た新潮社の「考える人」の小林秀雄特集号に付属していた河上徹太郎との今生の別れの対談テープを確認しても、小林秀雄の筆の入った、つまり発表された“正式な”対談記録は、実際の会話とはかなり違っていることも確認した。
例えば、酩酊後に、呂律が殆ど回らないながらも、河上徹太郎は小林秀雄の投げた球をかなりの正確さで投げ返しているが、小林秀雄はそれを正確にすくい上げていないのだ。
「勝海舟でも木戸孝允でも、そこに自分なりの『型』でもって泳いで来ている。そうすると『型』をみんな、歴史家も、小説家も、描きだすんだよ、それじゃ面白くないんだ。僕の祖父は、普通の武士として戦い、明治にはありふれた一市民なんだ。そいつが、どういうふうに浮き身をして、その川を流れてきているか、そこが見たいんだ」
生テープでは、河上徹太郎は勝海舟でなく「久坂玄端」と言っている。小林は「勝海舟」と修正した。わざとかどうか分からないが、間違い無く「久坂玄端」である。「勝海舟」ではなかった。当時77歳。耄碌したか、小林秀雄。
また、正規の対談として残された記録からは次のようなやり取りは削られている。
「今日はどうもありがとう」
「こっちがありがてえんだよ」
「いやね、あんたって人はね、あんたって人は批評家だよ」
「うん」
「いいか。俺なんか批評家なんて言えんぞ。いいか。いやそうじゃない。俺なんちったらナンボの男や。批評家っていうのは。お前さんが、批評家だよ」
「はい。俺あ生き残る。お前は死ねえ!」
突如、弱味を見せた小林秀雄に河上徹太郎は襲いかかる。小林秀雄に「お前は死ねえ」。
だが、世間ずれした馴れた駆け引きを、小林秀雄は発表される原稿から削り取っている。
つまり、読む側も、それを差っ引いて味読しなければなるまいさ。この辺りの呼吸は、もう、分かる人にしか分からないだろうけれど、小林秀雄の諸作に接する時には肝要なところだ。畢竟、小林秀雄も人の子。小林秀雄の気持ちもよく分からぁね。
ガーリック・スープって、どうなのよ。
今は体調が悪くて、腹が「ぐりぐり」(by Dr.John)なのだが、まだ秋の夜長を楽しんでいる頃には、こ〜んな調子でやっておりました。
またブルー・アイド・ソウルを聴きたくなっています。諸兄姐、そういう凸凹や浮沈を繰り返しつつ、歳を取っていくのですねえ。
イブに体調不良ってどうなのよ。
世界各国からクリスマス・カードやメッセージが届いた週末だったけれど、体調が悪くてむ〜ん、だった。
3連休は初日に某所で〇〇会の後で、学生諸兄姐と一杯やったりして、その後、少し体調が悪化したようだ。
三多摩地区の気温は我が家のある小倉の里と較べると最低気温は今頃の季節なら5度ほども低い。ボヤボヤしていると風邪を引いてしまう。
先日、広島の「一番星」がカワサキシチー駅前某所に来ていたので調達。これは大盛りだから喰いこたえがありました。
本年のナンバーワン・バンド、もとい、ナンバーワン・弁当は、文句無く、宮島口「うえの」の「あなごめし」であった。店の番をしているチャンバーの態度の悪さは日本有数だが、それを差し引いても誠実で丁寧な職人の仕事ぶりはビリビリと伝わってきた。
しかし「一番星」を喰っても、年来の疲労の蓄積甚だしく、暫くは不調が続きそうですわなあ。クリスマス・イブに体調不良ってのもどうなんだろ。ばちかぶりですかいのう。
海外渡航の頻度が上がると、色々と暮らしぶりも変わるわね。トランク出しっ放しだとか、基本的な準備はそのままにしておくだとか、ややだらしなくなる。
やることが無い待ち時間がどうしても多くなるから、その暇を独りだけで潰す楽しみを見付けるのもまた実際には楽しみなのだ。
それでも、「丸善」のブックカバーに航空会社に預けた荷物のタグとか何だとか色々貼り込むのが楽しいのだから、バカみたいだ。アハハハハハハハ。
表紙側は 「菊水」のふなぐち一升瓶のラベルで、裏には山陰の真鰺と八戸の真鯖を使った「鰺鯖よくばり寿司」と関門名物の「ふぐちく」のラベルが貼り込んであるのだ。
(ぴったりの本はなんだろ)
それで浮かんだのが本書。
これは古い古い本で、1993年に買った我が家に2冊か3冊ある文庫でも最も古い版。中公文庫で23版。75年初版本は今日なお重版している。
壇一雄の「壇流クッキング」である。 世界中の旨いモンを喰った檀一雄であるから、俺は随分と憧れたものだ。その後20年も経つと、ここに挙げられた殆どのものを喰ったようだ。
30歳でもまだまだ観るべきモノ、喰うべきモノがあるということでもあるし、壇一雄がそうであったように、若い世代をわくわくとさせたいなあと想うね。
しかしふぐのちくわを炙って、菊水のふなぐちを啜ってさ、仕上げに鰺や鯖の寿司を喰うなんてのは、世界中でも日本だけの楽しみだからなあ。外を回って、独りになって、色々とあった挙げ句、ニッポンがやっぱりいいなあとも考えているということでもあるか。